日本プロボクシング史上屈指の実力者

柴田国明

日本人として世界王者の奪還に挑戦して、全て挑戦して、全て奪取するという偉業を達成した人物がいる。その才能は当時でも指折りでもあった青木勝利、海老原博幸、辰吉丈一郎らと並んで、その実力を高く評価された『柴田国明』さんを忘れてはいけない。

名門ヨネクラボクシングジムが生んだ初の世界王者にして、かつて敵地メキシコで『赤き鷹』と呼ばれていた王者『ビセンテ・サルディバル』から王者を奪取するなど、2階級に渡って3度世界王者を奪取しているという、日本ボクシング界においてその実力の高さはまさに数百年に一人いるかどうかというほどの能力を備えていた。ジムのエースとして君臨しており、当時はガッツ石松なども在籍していた中で、その実力は本物と称されていた。

引退後はトレーナーとしてジムに残り、後世の教育に励んでいる。

沿革

柴田は非常に小柄な体格で、身長も163cmと特筆した見た目の特徴は備えていなかった。しかしそんな小柄な体格を生かしたスピーディでリズミカルなボクシングスタイルを展開することで、相手に確実に攻撃を当てる技術を備えていた。例えガードしていてもそのホンの少し空いた隙をついて、マシンガンから放たれる6mmの弾丸のようにその拳を敵へと叩き込んでいった。しかし一方で非常に撃たれ弱いということもあり、カウンターを倉ってKO負けすることも多かったほど、ややムラのある選手であったことには違いない。彼の戦績6敗の内、5敗がKO負けを味わっている。

日本人には困難といわれたスナップの効いたパンチを打つことが出来たことで『天才パンチャー』・『かめ割り柴田』といった異名を付けられるのであった。

柴田のトレーナーを務めたのは世界王者を何人も担当している『エディ・タウンゼント』で、彼もまた柴田の才能を高く評価している。以前、柴田が防衛線のために伊豆にキャンプを張ったときに、新聞記者たちも同行したが、あまり特徴的な印象がない柴田をばかり特集しても面白くないと判断した勝手な記者達は、ガッツ石松たちが地元で開いてた飲み屋に遊びに行ってしまうといったことがあった。

このことに対してエディは、柴田を特集するはずなのにどうしてその仕事を放棄して遊びにいったことを激怒したという。エディ本人は決して自分のことでは怒らないと有名だっただけに、こうして怒りをあらわにした彼の事件は珍しいといわれている。

メキシコで華々しく価値を誇った柴田だが、その存在感は当時のメキシコボクシング界に衝撃を与え、柴田の存在が一気に知れ渡るきっかけにもなった。そしてメキシコのボクサー『ホセ・シバタ・フローレス』は、名前から分かるようにボクシングファンでもあった父親が柴田にあやかって、彼にミドルネームとして『シバタ』と名づけたことが知られている。もちろん良い意味でも悪い意味でもそれなりに話題を振りまくことになったが、柴田の才能を見たメキシコ人達はその類まれな才能を目にして圧倒されていたことに違いはなかったということだ。

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主な戦績

1965年3月6日 
飯塚征一戦 1ラウンドKO勝ち(デビュー戦)
1966年1月31日 
徳留正親戦 5ラウンドKO勝ち(全日本スーパーバンタム級新人王)
1969年1月15日 
ハーバート康戦 6ラウンドKO負け(東洋フェザー級タイトル挑戦)
1970年4月15日 
桜井保男戦 10ラウンドKO勝ち(日本フェザー級タイトル獲得)
1970年12月11日 
ビセンテ・サルディバル戦 13ラウンドTKO勝ち(WBC世界フェザー級タイトル獲得)
1971年6月3日 
ラウル・クルス戦 1ラウンドKO(3分5秒)勝ち(WBC世界フェザー級タイトル初防衛)
1971年11月11日 
エルネスト・マルセル戦 15ラウンド引分(WBC世界フェザー級タイトル2度目防衛)
1972年5月19日 
クレメンテ・サンチェス戦 3ラウンドKO負け(WBC世界フェザー級タイトル陥落)
1973年3月12日 
ベン・ビラフロア戦 15ラウンド判定勝ち(WBA世界スーパーフェザー級タイトル獲得)
1973年6月19日 
ビクター・エチュガレー戦 15ラウンド判定勝ち(WBA世界スーパーフェザー級タイトル初防衛)
1973年10月17日 
ベン・ビラフロア戦 1ラウンドKO負け(WBA世界スーパーフェザー級タイトル陥落)
1974年2月28日 
リカルド・アルレドンド戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル獲得)
1974年6月27日 
アントニオ・アマヤ戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル初防衛)
1974年10月3日 
ラミロ・ボラノス戦 15ラウンドKO勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル2度目防衛)
1975年3月27日 
オールド・マクルフィー戦 15ラウンド判定勝ち(WBC世界スーパーフェザー級タイトル3度目防衛)
1975年7月5日 
アルフレド・エスカレラ戦 2ラウンドKO負け(WBC世界スーパーフェザー級タイトル陥落)
1977年11月29日 
アル・エスピサノ戦 10ラウンド判定勝ち(最後の試合)

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