ボクシング

根強い人気を誇る格闘技

ボクシングと聞いて、一番連想することは何でしょうか?単純に殴り合いをする協議といわれてしまえば、格闘技そのものが暴力で構成されてしまうので、あまり良い印象はないでしょう。もしかしたら格闘技に対して嫌悪感を抱いている人も中にはいるかもしれません、殴り合いをしているところを見てなにが楽しいのかと嫌悪感を抱く人がいてもおかしいことではありません。日常生活を送っていく中で、極力人は暴力を振るうことを嫌っている人が大半でしょう。私も無論そうです、人を殴るだけでも自分がいたいことに変わりないですし、殴り合いを繰り返していると、手の骨にゆがみが生じて、最悪殴っただけで骨が折れるということも十分にありえるからです。だからこそ、ボクシングをするときにはあのように分厚いグローブをはめて手の保護しているということもあります。こうやって客観的に書いてみると、一体ボクシングの何が楽しいのかということになりますが、それでも人はボクシングを求めます。

どうしてそこまで渇望する人がいるのか、それは単純に非日常の世界を見ることで満たされる人が少なからずいるということもあります。自分で殴り合いをするには嫌だけど、競技としての殴り合いほど興奮するものはない、と考えてアドレナリンが分泌する人もいたりすることでしょう。実際にボクシングを行なう選手からしたら、どうして殴り合いをすることに身を投じているのかということについては分からないのが正直な感想です。誰しも、何かしらの目的があってボクシングを始めるという人もいるでしょうが、それしか自分が楽しめるものがないという人もいるでしょう。千差万別の理由は存在しますが、そんなボクシングをやってみたいとして習う人が後を立たないのも事実です。中にはボクシングを用いたダイエット法もあるくらいですから、必ずしも殴るために存在しているものでもないと言えます。それでも選手として活動している人にとっては常に命の危険性が伴うボクシングですが、やはりそんな殴り合いの瞬間にこそ、男の美学を感じるのかもしれません。私もどちらかといえば格闘技は好きなほうなのでたまに見ますが、正直痛そうに感じながら見ているので、自分でやりたいかと聞かれたら、躊躇うでしょう。

ボクシングというのを人はどうして求めることになったのでしょうか、すこし歴史を紐解いていきましょう。

ボクシングの歴史

古代

2つの拳を使ってお互いになりあうこと、これは人類が初めて会得した攻撃方法と言われています。つまりは、ボクシングは人間にとって原初的な攻撃スタイルの一つが、そのまま闘争本能を揺り動かす競技として、そのまま受け継がれていることになります。

攻撃方法が確立した紀元前4000年ごろ、場所は古代エジプトの象形文字から発覚した。当時の軍隊でも活用されていたと判明しており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からも当時の格闘技術として、今のボクシングの原型が描かれている壷が発見されています。当時のボクシングのことは古代ギリシア語では握り締めた拳のことを『PUGME』といって、その後言葉は『PUXOS(箱)』という風に呼ばれるようになります。その後、古代オリンピックでは第23回大会からは正式種目としても採用され、当時最も活躍してた拳闘家でもあるオノマストスが月桂樹を受けている。

この時代のボクシングの戦い方は、何と全裸でオリーブ・オイルを塗って、拳には鋲を皮のバンテージのようなもので包んだグローブに似たものを着用して行われていた。攻撃方法としては拳だけでなく、腕や肘も認められていたと見られている。また、当時には現在のようなラウンドいう考え方は存在しておらず、どちらかが戦闘不能になるまで戦うサドンデス方式が取られていた。どちらかがギブアップとして、右手の人差し指を点に突き上げるまで行われていたさまは、まさしく選手ではなく戦士としての姿だ。その後第38回大会までこの競技が続けられ、このボクシングを元にしてパンクラチオンが誕生したと考えられている。

ローマ時代に入ると、ギリシア語から『羅:PUGILATUS(拳での戦い)』、『羅: PUGILISM(「ピュージリズム」)』という言葉が生まれ、後に奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだセスタスという武器を拳に装着して、コロシアムなどで見世物として行なわれる競技に変化していく。大会と違うところは、敗者は再起不能、あるいはその命が尽きるまで戦わなくてはならなかった。しかしこの風習は436年に西ローマ帝国が滅びると共に姿を消すことになったといわれています。

中世

中世の時代のボクシングについてはいまだ詳しい歴史が判明していないということもあり、あまり詳細については語ることが出来ない。一ついえることは、古代で大会競技として、もしくはコロシアムで行なわれていたような殺し合いのような様は見かけられず、ボクシングは護身術として、もしくはレクリエーションとして用いられていたとも言われているが、市民にまで定着することは無かったといわれています。13世紀ごろのイタリア、またはイギリスの神父がこの時に競技名として初めて『ボクシング』と名づけたことにより、その後近所の若者に教えたのがボクシングという名所の始まりだとも考えられているが、この説が確かなものと証明されていないのが現状となっています。

近代

名前の誕生から見ていくボクシングの始まりは、1695年にイギリスのオックスフォードシア州テーム村出身の『ジェームズ・フィグ』がボクシングの始祖として考えられている。フィグはボクシングの他にレスリングに、フェンシングや棍棒術を得意としており、1718年にロンドンで『ボクシング・アカデミー』を設立して貴族などにボクシングを教え始めていたとと言われています。彼が行なった『ボクシング』とは、素手で行い、蹴りや投げ、締め、噛み付き、目潰しがある現代のボクシングの形ではなく、同系統の格闘技もであるパンクラチオンに近い形を取っていた。当時の世情から、対人戦をイメージしている格闘技だということを考えるなら、納得のいくスタイルだろうと思います。

フィグ自身も教えることをしながらも、自らは『プライズ・ファイター』として腕自慢たちを倒して賞金稼ぎとして名を馳せており、護身術としても優れていると認められたボクシングと共に名声を得ることになり、その後行なわれたイギリス発のチャンピオンとしてその名を広めることになった。その後フィグは1734年、39歳という若さで死去することになるが、彼が築いたボクシングとしての地位は徐々に上がり始めるのだった。

彼の亡き後、後継者として『ジャック・ブロートン』が、自ら保持しているタイトルの防衛線の時、相手を殺してしまう事態を引き起こしてしまった。このことを気にジャックは『ボクシングを普及させるためにはこのような危険を廃さなければいけない』と考え、1743年に近代ボクシング初となる7章のルールブックとなる『ブロートン・コード』を発表する。ルールブックの内容としては主に以下のようになっている。

  • ベルト以下への打撃の禁止
  • 腰より下の抱え込みの禁止
  • 倒れた相手への攻撃禁止
  • ダウン後30秒以内に中央の所定の位置に立つことが出来なければ負け

というような主な禁則事項が出来上がり、その後貴族の練習の怪我防止用に『マフラー』という名のグローブを採用することになるのだった。

グローブの存在も出てきたが、実際に試合では変わらずに素手で行なわれており、1754年には死者が多いために、イギリスではボクシングを行なうことを禁じることになった。このために、ボクシングの試合はフランスやベルギーなどで行なわれもしたが、貴族や富裕層の支持は根強いこともあったため、イギリスのボクシング禁止令は1790年には解除されることとなった。その後1811年のイギリスチャンピオン『トム・クリブ』対アメリカ合衆国『トム・モリノー』の再戦には、25,000人という観衆が訪れるほど、ボクシングの人気はすさまじいものになったといわれています。

1814年に元チャンピオンのジョン・ジャクソンが英国ピュジリスト保護協会を設立して、1839年に29条からなる『ロンドン・プライズリング・ルールズ』という新たなルール制度を発表することになった。新たなルールの主な内容としては、基本的に素手で行なうことを前提に以下の通りとなっている。

  • 蹴り技の禁止
  • 頭突きの禁止
  • 目玉えぐりの禁止
  • ダウン者に30秒の休憩に加え所定の位置に戻るまでに8秒間の猶予を与える

といった内容が取り決められるのであった。

この当時のボクシングは、相手がダウンすることで1ラウンドしており、長時間ラウンドともなれが50ラウンドにもなることがあったといわれています。もはや戦っている最中は死と隣り合わせの状態ですね、これでは。こうした長期的なラウンドの場合になる恐れがある場合は、序盤の内は拳や手首を痛めない様に注意しながら、徐々に打ち合っていくというスタイルを取っていたという。

1856年にフランスで八百長疑惑が浮上したことによりボクシングなどの興行がパリで全面禁止になるという事態が施行されるようになってしまった。いつの時代でもこうした不正を用いて試合を行なう人はいるということですね。

当時のボクシング界に一つの動きが生じた1867年、ロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブの『ジョン・グラハム・チャンバース』が、ルール保証人の『第9世キンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス』の名を冠した、12条からなる『クインズベリー・ルール』を発表した。このルール成立により、主に以下のようなルールが成立することになる。

  • 投げ技が禁止されるよう
  • 3分1ランドとしてラウンド間に1分間の休憩を取るラウンド制
  • グローブの着用
  • ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合にはKO負けと判定される

といったことが定められるようになり、現在までに通じることになるボクシングルールが確立することになった。但し、定着は遅れ以前の『ロンドン・プライズリング・ルールズ』についても1889年7月にジョン・ローレンス・サリバンがジェイク・ロドリゲスと行なった防衛線まで続くことになるのであった。

クインズベリー・ルールによって行われた最初の公認世界ヘビー級タイトルマッチは1892年9月7日、『ジョン・ローレンス・サリバン』対『ジェームズ・J・コーベット』戦が行なわれた。コーベットは当時のスタイル『合う譚度・アンド・ファイト』ではなく、相手から距離をとってパンチを交わして、左の軽いジャブを当てるという『卑怯者の戦法』といわれたサリバンを21回にKOして、勝利を収めることに成功したのだった。

この頃と現在の世界ボクシングタイトルマッチでは試合形式が異なっている。まずはラウンド数の規定がないことも大きな特徴となっており、さらにプロモーターや現地のコミッション的組織、対選手陣営同士の合意などで初期はその都度変わっており、初期の名選手で黒人としては初めて誕生したヘビー級チャンピオン『ジャック・ジョンソン』の1915年4月5日の防衛線を全て10ラウンド制で行なった『ジーン・タニー』の引退後の1930年6月12日に行なわれた空位の世界ヘビー級決定戦以降は、世界タイトルマッチは一部の例外を除いてほぼ全て15ランド制で行なわれるようになった。このラウンド制は1982年11月13日以降の一連のリング渦事件が発生まで継続することになるのであった。